佐川道場跡地の公園化のための佐川先生に関する説明

令和3年1月 木村達雄(大東流合気佐門会理事長・筑波大学名誉教授)

佐川幸義先生を一言で言えば、日本の武術家です。

しかし佐川先生の武術は力を使わず敵の力を消してしまう特殊な武術です。

普通、戦うには相手よりも自分の力が強くなければ負けます。鍛え続けて世界チャンピオンになるほど強くなった人間ですら、老いれば若者に敵わなくなるのが現実です。

しかし佐川先生の合気は力が不要のため、肉体が弱り老人になっても、力のある強い若者に負けることがないのです。

(合気武術の歴史的な話)

合気柔術は、日本で昔から知られていた柔術や柔道とは全く異なる系統の武術で、武田惣角先生(万延元年生まれ、昭和18年没)が大東流(だいとうりゅう)合気柔術として全国を廻って教えて世間に広まっていった。

「合気道」の創始者の植芝盛平翁も大正4年から昭和6年までの十六年間に亘り武田惣角先生の指導を受けた。

佐川幸義先生は1902年生まれで、武田惣角先生が佐川家に2年ほど滞在していた時、10歳頃から武田先生の指導を受け始めた。

昭和29年には、武田惣角先生の息子の武田時宗氏らの推薦で、佐川先生が武田惣角先生のあとを正式に継いで宗家になった。

昭和30年からは小平市の自宅に正伝大東流合気武術・総本部道場(佐川道場)を開いたが、昭和31年に武田時宗氏から「やはり宗家は親から息子にゆくべき」との要望に従い、世間に出て名声を上げる道を選ばず、ひたすら「深遠な合気の探求」に生涯を捧げた。

(私の体験)

私、木村は中学3年の時に、植芝盛平翁に出会い合気道に入門、その後5段になり、アメリカ・ドイツ・フランスなどで合気道の指導をしたのですが、ある時、抵抗する大きな外人を倒せなくて「本当の日本武術はこんな筈はない!」とすごく悔しい思いをしました。

帰国後、本物の武術家を求めて色々な道場を訪ねて、佐川先生に出会う事が出来ました。

そのとき佐川先生は76才でしたが、初対面の時に、どんなに力いっぱい抵抗しても一瞬で倒されてしまいました。こんな事が出来る先生がこの世に実在するとはとても信じ難く、更に、これほど次元が違う凄い先生が、名前も知られずに、ひっそりと修行されていることにも驚きを禁じ得ませんでした。

この不思議な技を可能にしているのが「合気」と言われる何かであるとの事でした。

「合気は相手の力を抜いてしまう技術だから、年齢がいっても相手が強くても出来るのだ」とも言われました。その後も佐川先生の合気は留まることなく進化を続け、どんどん迫力や技の鋭さも増していきました。 87才の時に心筋梗塞で1ヶ月、東大病院に入院されましたが、退院したその日に私をバシーンと投げて「これで合気が力ではないことが分かったでしょう」と言われ、門人達は目を丸くして驚いていました。

そして95才で亡くなる前日、背広で正装して道場に現れた先生に、3回すさまじい勢いで畳に叩きつけられ、3回とも受身もとれず頭から畳に突っ込んでしまったのです。余りの凄さに翌日先生が亡くなられたと報告を受けたとき、「まさか・・」と信じられない思いでした。

(佐川先生の言葉)

絶対にこれで良いとか、このまま行けば良いと思ってはいけない。そう思った途端に進歩が止まる。人間に完全ということはあり得ない。どんな段階に達しても必ずその上の段階があるのだ。
常に新しいことを工夫していくのだ。頭を使え。

教えてすぐ出来るようなものは大したものではない。
長い間の努力・訓練・工夫・研究によって少しづつ出来るようになるのです。

(佐川先生遺稿より)

合気とは気を合わすと訓ず。気は宇宙天地の気なり。

合気の妙用は、天地森羅万象一切に合一同化し融和するにあり。

然れば我に対する敵は更になきものなり。

此の境地に幽没するよう心を治め、気を練り、体を鍛えるが合気の練成なり。

合気心に至れば、我なく人なく生もなく死もまた無し。

あたかも無人の広野を行くが如く空々無々万物の変動たちどころに心写し

身体は円融無碍変転自在にして尽きることなし。

合気は争う事を不致 

暴なる者には自然に出て空の合気天地自然の妙法にてその攻勢を無依ならしめ・・・