⼩平市上⽔南町2丁⽬の南端、国分寺市と接するところに、⼤東流合気武術宗範 佐川幸義先⽣の総本部道場がありました。多くの方が道場に通い、先生のもとで合気を学びました。
佐川先⽣は、知る人ぞ知る天才武術家であり、数多くの書籍が出版されています。直⽊賞作家であり、武道⼩説の第⼀⼈者でもある津本陽⽒も、渾⾝の遺作「深淵の色は 佐川幸義伝」にて、先生の生涯と弟子たちの素顔を書き記しています。
深淵の色は 佐川幸義伝
実業之日本社
2018年10月05日発売
大東流合気武術を究めた天才武術家の生涯と弟子が見た素顔――
武道小説の第一人者・津本陽、渾身の遺作。
私は先生の謎のような生涯をふたたび探り、合気の神髄を探る作業を試みることにした。誰も見たことのない深淵の色を語るように、佐川先生の合気を語ることがどこまでできるだろうか?(本文より)
佐川先⽣は、平成10年の3月に95歳でお亡くなりになるまで、御⾃宅に隣接する道場で、真の武術の精髄である合気を研究・発展させ続けられました。道場の運営を拡張することはありませんでした。
道場と御邸宅を受け継いだ御⼦息の佐川敬⾏さんは、幼い頃の⾼熱で⼩児⿇痺となってから、ほぼ寝たきりの⽣涯をおくり、平成27年に84歳でお亡くなりになりました。前述の書籍第9章に、⽣前の御遺志が記述されていますので、抜粋して紹介します。
この世を去られた敬⾏さんが遺した希望がある。佐川道場の跡地を公園にして、地域のために役⽴ててほしいというものである。
「私が死んだら、⽗の道場を公園にして下さい。そこに⽗の名を残して下さい」敬⾏さんは「幸せだったとき」の思い出を語られたことがあった。それは幼い頃、家族におんぶされて公園に⾏ったことだった。敬⾏さんは、愛する家族と共に公園で過ごした幼い頃を懐かしみながら⾔った。
「⾃宅の跡地を笑顔で過ごせる公園にし、『合気公園』の名称で、将来、合気の聖地として親しまれる場所になってほしい」
(中略)
敬⾏さんは、⽗の道場の跡地を⼈々に親しまれる公園としてもらえるように願い、⼩平市に寄付した。⼩平市は敬⾏さんの遺志を汲み、寄付を受けた。
(中略)
⼤東流⼀統は、⼩平市が、敬⾏さんの遺志をしっかりと受け⽌め、道場跡地を合気の歴史に⼤きな⾜跡を残した佐川先⽣を記念する公園にしてもらいたいと、切望している。
深淵の色は 佐川幸義伝
寄付を受理した⼩平市は、公園整備費用を捻出するため「総⾯積の約3割を売却する」というプランを⽴てました。しかし、佐川道場の門人だけではなく、近隣住民の方々も「可能な限り土地は売却しないでほしい」という意向があります。そのため、ふるさと納税制度を活用することで見込める道場関係者からの寄付金を使わせてもらうことや、当初の整備は最小限にすることで費用を抑え、その後は周辺住民が公園を育ていき、樹木や設備等も寄付によって充実させていくことなどのアイデア実現に向けて動いています。
このように、敬⾏さんの遺志を実現し、近隣住民や道場関係者にとって理想の「合気公園」にしたいという願いから、「旧佐川邸の公園化を考える会」を設⽴しました。市⺠と市が⼀緒になってみんなの公園をデザインしていくという会です。
旧佐川邸の公園化を考える会では、上⽔南公⺠館で定期的に会合を実施しています。開催⽇程はトップページをご覧ください。どなたでもお気軽にご参加いただけますので、お越し頂けましたら幸いです。